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旧竹内家住宅は、旧大正町中津川森ヶ内に建てられていた山村民家である。昭和45年度から高知県内全域にわたって行われた古民家の実態調査で、土佐山村での建築年代・様式・意匠などの点で最も優れたものとして、昭和47年5 月に国の重要文化財に指定された。旧大正町が譲渡を受けて現在の場所に移築され、山村の暮らしを学ぶ公開の場として、広く活用されている。 旧竹内家住宅の建築年代については2 説ある。約280 年前という説(1720年頃)では、享保12 年、高知の大火災以後、草壁民家が御法度となったことから、草壁の竹内家住宅は1720年以前に建てられたと推察されるという説。約230 年前という説では、「明治の初めにこの家の100年祭をおこなった。」という古老の言い伝えがある。建築の構造から推察すると旧竹内家の建築年代は18 世紀末頃と推定されている。 大正町史によると、藩政期の農民や間人の住居は多くが掘建て式の茅葺きの住居で、農民や間人はひさしや畳敷を許されず、床板の代わりに小竹をスノコに編んで並べ、藁筵や萱筵を敷いたとある。冬季には積雪を見る気候の地で、非常に厳しい生活を強いられた様子が容易に想像される。中津川集落は、明治から昭和期にかけて国有林事業で活況を呈した良材の宝庫であった。 しかし、周囲を御留山に囲まれ、藩の林業政策によって御留木のマツ・スギ・ヒノキ・モミ・ツガ等21種の伐採を禁じられ、建築用材にも厳しい制限を受けた地域であったため、シイ・栗・桑などの雑木を建築材としている。旧竹内家住宅は、様々な規制を受けた藩政期の土佐山間部の建築様式をよく残し、山村集落における民家の暮らしぶりを今に伝えている。 < 建物の特徴> 旧竹内家住宅の建物の規模は小さいが木割りは太く、藩政期の山村農家として中型層の家であったと思われる。屋根は茅葺き(かやふき)で壁は茅壁(かやかべ)、壁には一切壁土を使用していない。間取りは「ざしき」「茶の間」「土間」が一列に並ぶ形、土佐の山間によく見られる形式で構成されている。桑の木の柱が3 本使用され、「おきのま」の床は竹が敷かれている。竹内家住宅では軸組みと「なかじ」の工法が特徴的である。「なかじ」と呼ばれる特徴的な部材1本で、桁行きが堅くつながれている。「なかじ」は土佐山間地方の古民家に見られる特有のもので、旧本川村の国指定の重要文化財山中家住宅にも見られる手法である。竹内家住宅の「なかじ」は約10.6mの長さを持つ。このような一列型平面は四国中央山地や九州地方の急峻な地形の山村に多く見られる。構造は上屋と三方の下屋からなるが、下屋の幅は狭く0.5m~0.6mであり、梁組は簡素である。梁上桁行きには棟通りに太く扁平な材が上屋の端から端まで通っている。旧竹内家住宅は藩政期の当地方の山村民家建築として貴重な建物である。 |